未来が見えづらい現代、あなたは自分自身の未来をどのように考えていますか?
明るい未来か、否定的な未来、どちらかになる確率は五分五分です。
「心の中の不安をすっきりさせるメソッド」では、未来を否定的ではなく肯定的に考え、不安より満足感を覚えることで、もっと自分を大事にする方法をご紹介していきます。
第10回は、「人間関係の秘訣は『自分を大事にする』」の続き、「つい争ってしまう人の心理」を解説していきます。
つい争ってしまう人の心理
あなたはこんなふうに思い込んでいませんか?
「人生は自分の思った通りにならない」
「自分は無力だから、我慢して感情をコントロールしながら生きていかなければならない」
長年の習慣や一般常識、世間体などによって、そう思いこまされ、心の自由を奪われている人も少なくないのではないでしょうか。
同時に、あなたの満足感や充実感、幸福感を奪う思い込みがあります。
「お金は有限だから奪いあってでも自分のものにしないとお金持ちになれない」
「自分が望むものを手に入れるには戦って勝たなければならない」
「幸せになるには誰よりも先にゴールへ走らなければならない」
といったものです。
本当にそうなのでしょうか。
もしかしたら逆なのかもしれない、と思ったことはないでしょうか。
確かにこれまでの歴史を振り返ると戦いの連続で、今の国際情勢も一歩間違えば大きな戦争へ発展しかねない火種が、どの国にも存在しています。
また、学校教育でも、幼稚園から小学校に上がる前から塾で競争したり、試験と偏差値で競うことが当たり前になっている世の中なので、戦って勝たないと「成功は幸福、お金も得られない」と信じてしまうのは無理もありません。
しかし、「人生に戦いは不可欠」と思っている人は、どこまでいっても「戦う」ことが目標になっています。
相手と争えば「勝つか、負けるか」のどちらしかありません。
人生の土台に「戦う」を置いていると、どんなときにも「戦う」を選んでしまいます。
また、どんなときにも戦ってしまう人は、「戦う以外の方法を知らない」ということも大きいでしょう。
人との関わり方でも戦い、必要のないときですら戦って、相手を屈服させようとしてしまいます。
例えば、子どもが、
「この仕事につきたいんだ」
と言うと、親が
「そんな特殊な世界で生活できると思っているのか」
と否定し、話が終わる前に切り捨ててしまう…。
そうやって多くの人が、自分の能力を試す間もなく「できない。そんな力はない」と思い込まされてきたのではないでしょうか。
しかし、そんなことはありません。
私たちには、自分の望みを叶える力がもともと備わっているのです。
相手がたびたびあなたを否定してくるとしたら、それを真に受けることはありません。
そこで意見を戦わせても、相手は“否定する”という方法で、「戦って勝つ」を目標にしているからです。
「戦う」を人生の土台に置いている人は、人とのコミュニケーションも、相手の言葉を「即座に否定」し、相手に「反対する」という方法で、延々と戦うことを繰り返します。
このように、「戦う」という意識がある限り、味方だった人も、やがて敵になっていくのは避けられないでしょう。
敵がいる人に共通する考え方
「戦い」の構図は、国と国、日常のささいな場面などでも起きていることは同じです。
例えば、優秀な社員を持つある会社の社長がいるとします。
その社員が提案した企画は素晴らしいもので、企画が進行すれば会社に業績が見込まれることが分かっています。
しかし、社長はその社員のことを快く思っておらず、企画が実現すれば、他の社員がその部下に追随して、そのうち自分の地位を脅かすのではないか…と、無意識に恐れを抱いています。
社長はその部下の企画を却下したり、ミスを大げさに指摘するなどで、その部下の評価を貶めるような行動をとります。
会社にすれば、その部下の才能を活かさないことは損失に繋がります。
それでも、この社長のように「勝ち負け」が人生の目標になっていると、どんなに頭で「部下の企画が会社にプラスになる」とわかっていても、利益より相手を潰そうとして争ってしまうのです。
あなたは「平和」が好き?「争い」が好き?
という声もあるでしょう。
しかし、「戦う日々」と「平和な日々」は、真逆であり、戦う人にとっては、戦うことが“日常”になっています。
そんな人に「平和な日々」が訪れても、生ぬるく退屈で、エネルギーを発散したくならないだろうか。
また、「戦うこと」が自分を守る武器だとすると、その武器を放棄することは、自分を守る術がなくなってしまうことを意味します。
例えば、結婚している女性と、結婚相手の実家との間に繰り広げられる「嫁姑」問題があります。
夫の家族は「部外者の嫁」という「敵」の悪口を言うことで一致団結します。
争うことのメリットは、この一致団結という点にあるかもしれませんが、これは建設的とは言えません。
このような「嫁と夫の家族」という「敵味方」という構図で社会が昨日している時、
夫婦が離婚し、嫁という敵がいなくなったら、夫の家族は「よかったよかった」と、平和の訪れを喜び合うでしょうか。
それとも、ひと時の平和を喜んだのもつかの間、「争い」を続けるために、また新たな敵を見つけようとするでしょうか。
言わずもがな、後者になるでしょう。
このような心理もあり「争い」が好きな人は、敵がいなくなれば、またどこかに敵を作っていくのです。